アメリカ航空宇宙局(NASA)の発表によると、1983年11月28日にスペースシャトルコロンビア号がSTS-9ミッションによる初の国際宇宙飛行を行った。ミッションにはヨーロッパ宇宙機関(ESA)のスペースラブプレッシャモジュールが初めて搭載され、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、日本の科学者による70件以上の実験が行われた。
ヨーロッパ側は、「世界で最も有名な宇宙機関であるNASA」が初期のシャトルミッションにスペースラブを含めたことを「目覚ましい一歩」と称賛した。一方、NASAもスペースラブを称賛し、このプロジェクトを「史上最大かつ最も包括的な多国籍宇宙プロジェクト」と呼んだ。
スペースラブは参加国、科学者、宇宙飛行士を結びつける団結力となった。ミッションのペイロードスペシャリストの1人であるウルフ・メルボルトは、搭載実験の主任研究者が英国人やフランス人であっても、「この飛行における科学はフランスのものではなく、英国のものではない。科学自体が国際的なものなのだ」と説明した。
乗組員や実験装置を搭載した科学者は、人類のために協力して研究に取り組んだ。当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、「スペースラブが多くのミッションからもたらす知識は、全人類に属するものだ」と述べている。
ミッションの訓練には、アメリカの宇宙計画にとって全く新しい国際協力が必要とされた。今では宇宙ステーション滞在のために世界中の施設で訓練する宇宙飛行士は珍しくないが、NASAの初期宇宙飛行プログラムでは、ヒューストンとケープカナベラルが訓練の中心地だった。アポロ計画時代に国際飛行と呼べるのはアポロ・ソユーズテスト計画のみで、訓練はアメリカとソ連の2カ国で行われた。
スペースラブ1では、ミッションスペシャリスト2人とペイロードスペシャリスト2人(アメリカ人1人とESAから1人)が搭乗し、ペイロードベイのモジュールと実験を操作した。彼らは発射の5年前から訓練を開始し、ヨーロッパ各地を渡り歩いた。これにより研究者との人的・専門的な関係が築かれ、乗組員同士の絆も深まった。
STS-9での国際協力は、ヨーロッパの有人宇宙飛行への参入、新しい宇宙科学アプローチの始まりとなり、今日の国際宇宙ステーション計画の基盤を築いた。スペースラブ計画は、世界中の科学者と技術者が協力・交流することで科学的知見を前進させられることを体現した。
Source: https://www.nasa.gov/history/spacelab-1-a-model-for-international-cooperation/